たられば論から学ぶ ~過去の自分と上手く折り合いをつける~

 

 

 先日友人と4人打ちの麻雀をして来ました。前半は32142、後半が124411(位)という結果でした。すごい流れがあったような無かったような、、、そんな感じの内容でした。まあ麻雀の結果は置いといて、麻雀中によく聞かれることについて今回は話していこうかと思います。

 麻雀をしたことがある人なら一度は聞いたことがあるでしょう「たられば」。私を含め初心者の人ならよくこの問題(課題?)に直面することと思います。

 

 麻雀に限ったことではなく、日常生活においてもよく語られる「たられば論」。そもそもタラレバとは、「もし○○していたら△△だったのに」など事実に反することを仮定してその時の行動への後悔などを示す話です。同時にそこには本人の願望が含まれていることになります。

 

 最初に麻雀の話を出した理由としては、麻雀という競技が「選択、決断」の競技だからです。ゲーム中は全てのことに対して一つ一つ選択をしていかなければなりません。それに加え麻雀は「運」の要素も強いため余計後から見直した時後悔が生まれやすいのです。

 日常生活も程度はあれども選択の連続だなあと感じています。「あの時ジャンケンで勝っていればおごってもらえたのに」など小さいものから、「あの問題さえ合っていれば試験に合格していたのに」など大きいものまで...

 

 

 たられば論はいろんな場面で議論されていると思います。これは単に私が勝手に日常生活の中で思っていること。。。

 

 

 様々な選択をしながら生きていく上で自分が望んだように事が進めば、正解かどうかは分からなくても後悔することは少なくなり、納得のいく日々を送れるのではないでしょうか。そのため前述の<大きな選択>の時には慎重になりますね。

 

 

 私は普段から「たられば」と言いたくなる時には意識的に抑えるようにしています。そしてその事を少しだけ違った角度から見るようにしています。具体的にどうしているかというと、「あの時○○したのは自分の選択であるのだから」と一旦考えてからその時のことを振り返るなり反省するなりするようにしています。

 

 何が違うんだと思われるかもしれませんが、私にとってはかなり大きな違いがあります。「○○しておけば~」というのは自分の行動に責任を持っていないような現実から目をそらしているような、そんな感じがするのです。良い結果になれば皆「あ~良かった」と安堵します。その時の自分を無意識のうちに褒めているのです。一方あまり好ましくない結果になった時、結果に対して不満を抱くだけでその時の自分というものにはあまり目がいかないものです...

 

 それでは成長ができないのではないか、と私は考えています。その時の自分が何かしらの考えをもってその選択をした。その選択を無視するのは良くないのではと。

 誰しも自分が失敗したなーと思うことはあまり認めたくないものですよね。でもその現実から逃げている自分がいるということの方が私はもっと嫌です。他人、環境のせいにはせず真正面から自分に向き合ってみようと思っています。

 

 

 ただ一つだけ、私は「たられば」自体を否定する気は全くありません。「たられば」は人が抱く最大級の本音だと思っています。本音が漏れるということはそれだけ想いが強かったということ。本音が漏れる時には、本気で事に向き合っていた自分を褒めてあげるんです。

 なんであの時ああしなかったんだ、と怒るのではなく冷静になって考える。最悪の場合、自己嫌悪に陥ってしまうかも...。簡単に忘れられるようなことでないこともあるかもしれません。自分自身は大切に、、楽しく過ごしていきたいものです。

 

 

 

 

 まあこんな硬いこと四六時中考えられるわけもないんですけどね笑。今日も朝からバイトして帰ってゲームして、、、いつもと何も変わらないダラダラした一日を過ごしてました。来週もしっかり働いて遊んで、メリハリつけながら心身ともにリラックスさせていきます。